2012年3月16日〜31日
3月16日  ラインハルト 〔ラインハルト〕

 スワロフスキーの指輪を盗まれたアラブ人のドムスを訪ねた。

「探さないのはダイヤじゃないからか? ダイヤならくれてやる。さっさと取り返してくれ!」

 イエメンの富商ムンディル氏は長衣の拳をふりあげてわめいた。その手首にもキラキラとビーズ細工が光っている。

 その椅子の前にはこれまたチワワのようなかぼそい美少年が侍っていた。泣いたような濡れた青い目。チワワが細い声をあげた。

「ぼくがいけないんです」


3月17日 ラインハルト 〔ラインハルト〕
 
長い睫毛をみるみる涙で濡らし、

「CFで自慢してたんです。いつもいじめるやつがいて、そいつに見せつけてやりたくて。あれは――ご主人様の手作りだから」

「その犬を打ち首にすべきだと思うね」

 ムンディル氏は鼻息荒く言った。

「咽喉からきっと指輪が出てくる。胃袋からは悪魔が出てくるだろうよ」

 クリスがなだめ、

「犬はお宅に入ってませんよ。不審な人物が出入りしてませんでしたか」

 おぼえはない、とムンディル氏は言った。

「わたしとハッラーラは観劇にいっていた。使用人は信用できる」


3月18日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 おれはつい聞いた。

「なぜ、信用できるんです?」

「部族の者だからだ。わたしから盗めば、この世界に兄弟、友人はいなくなる」

 そういう倫理がどこまで現実に通じるのかよくわからない。クリスがたずねた。

「その指輪は本当にスワロフスキーなのですか。じつは一部にダイヤを散りばめたとか」

「あれの金銭的価値についてなら、1000ドルもしないだろうよ。だが、わたしとハッラーラには大事な思い出の品だ。ぜひ、取り返してほしい」


3月19日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

「使用人に会いたかったな」

 ムンディル宅を出て、おれはうなった。三人いる使用人のいずれにもインタビューできなかった。

「なんで隠すんだろう」

「まあ、その線は薄いだろ」

 クリスは言った。

「使用人なら、ガラス細工以外のものを盗むだろうよ」

「スワロフスキー・ファンかもしれないぜ」

「じゃ、きみの指輪は?」

 おれの指輪はプラチナだ。一貫性がない。

「手当たり次第か」

 おれがつぶやくとクリスが笑った。

「おまえはあいかわらず頭を使わずに生きてるのね」


3月20日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

「無礼者」

「犯人は指輪だけ盗んだんだぜ? どのドムスにも宝物庫みたいにお宝があるのにさ。あきらかに何か意図して選んでいるんだよ。これはただの空き巣じゃない」

 おれはクリスを見た。なんだか、この男が急に頼もしく見え出した。

「なんだろう。マイクロフィルムでも隠してあったとか」

「おまえの指輪にはそんなものが入っているのか」

「――ない、とおもう」

 おれが首をひねっていると、クリスが白亜のドムスを示した。

「おれの客。ここも被害にあった」


3月21日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 クリスの客は、これまたクリスと気の合いそうな日焼けしたアメリカのエグゼクティブだった。

「ロバート・キンゼイ。ボブでいい」

 握手が硬かった。腕時計は宝石だらけ。

「ラインハルト、噂は聞いているよ。きみとのデートは半年待ちなんだって?」

「半世紀待ちです。盗難のことをお聞きしていいですか」

 ボブはのどをそらしてカラカラと笑った。
 ボブがやられたのも指輪だ。ヒスイの神像の指輪かけごとなくなっていた。

「犯人は若い男だ」

 ボブは言った。

「小鹿みたいに跳ねて逃げたからね」


3月22日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 おれはおどろいた。

「見たんですか」

「言ったよ。護民官に」

 ボブはその日、公衆浴場で遊んでいた。夕方帰った時に、自分のドムスから電気工事スタッフのような男が出てくるのに気づいた。工事かと呼び止めたら、男はあわてて走り去ったという。

「でも、護民官側によれば、制服は盗まれてないそうだし、色がちがった。おれもあんまり見ないからね。ホンモノの電気工事なんて」

 ボブは顔などは見ていないといった。ただ、白人で、敏捷に走り去ったことから、若い男とだけは言えるといった。


3月23日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

「お宅のわんちゃんはその時間は」

「CFにいた。それにうちの子は」

 彼が呼ぶと、愛想のいい長身の黒人青年が現われた。全裸にエプロンだけというセクシースタイルだ。

「ぼくのキャンディ。前の女房よりずっと料理がうまい」

 ボブはヤニさがった。キャンディは白い歯を見せ、

「でも、おいしいのはご主人様の……」

 ボブはあわて、黒い裸の尻を叩いて青年を追い出した。ボブは言った。

「使用人はいないんだ。わかっているのはそれだけ。指輪は安物だが、おれの金で買ったものだ。取り返してくれ」


3月24日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

「さすがに、ここのソーセージうまいわ」

 クリスはビールを飲み、うれしそうに唸った。
 時間が遅かったため、流れでいっしょに飯を喰うことになった。以前もよくいっしょに来たスタッフ用のクナイペだ。

(まずい傾向だ)

 防衛ラインが後退している。少し釘をさしておかないといけない。

「クリス、手伝ってくれるのはありがたいが」

「晩飯、おごってくれればいいさ」

 グリーンの目がサディスティックに笑った。

「ビクビクするな、ラインハルト・リーデル。そんなにおれがこわいのか」


3月25日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

「こわいね」

 おれはつい言い返した。

「アメリカでコンサル会社起こして、羽振りよく暮らしてたくせに、どういうわけかヴィラに逃げこんできた。噂じゃ上院議員のボーイフレンドに――」

 ストップストップ、とクリスがあわてて止めた。

「おまえ、手加減しろよ!」

 おーこわ、とクリスは笑い、ソーセージにかぶりついた。おれも笑ったが、少しにがにがしかった。またクリスのペースにのせられてしまった。

「とにかく、指輪だ。なんかわかったか?」


3月26日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

「わかったか、だと? だいぶ犯人像が狭まったじゃないか」

 クリスは言った。

「むこうはボブの顔を見て逃げた。犯人はボブを知っている男なんだ。ボブの知り合いか、ボブを知る立場の人間だ。そして、スワロフスキー好きのムンディルとあとふたりとおまえを知っている人間である可能性がある」

「誰だそりゃ」

「――」

 そこまでは考えつかないらしい。彼は軽く小突いた。

「少しはおまえも頭使え!」


3月27日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 頭は使ってる。推理は働かないが、ウォルフになんと言ったらいいか、そればかり考えている。

 指輪以前に、おれは彼にすまないことを言った。さらに殴ってしまった。

 ウォルフが母親のところに行くのはいやなのだ。あの母親は同性愛者の息子を嫌っている。親子断絶して会わないくせに、年に一度、気鬱になるとメイドを通じて呼び出すのだ。

 行ったところで門を締め切って会わない。しかし、行かないとヒステリーをおこし、自殺騒ぎをやる。わがまま娘が年を食ったようなものだ。


3月28日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 調教の合間を縫って、おれは三人目の被害者をたずねた。
 クリスもいっしょだ。もはや、こいつは当然のようについてくる。

「アクトーレスが調査をしているんですか」

 中国人のチョウ氏は面白そうにおれたちを見た。

「わたしもあなたと同じ被害者なんですよ」

 おれはしょんぼりと言った。

「結婚指輪なので、どうしても取り返したくて」

 チョウ氏はすべらかな顔になぞめいた笑みを浮かべた。アキラもそうだが、東洋人の年齢はわかりにくい。

「わたしのはそんなに大事なものじゃありませんがね」


3月29日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 チョウ氏が盗まれたのは、宝石箱だ。だが、中身は指輪ではなく、ピルケースとして使っていた。

「犬用のね」

 チョウ氏は蓋をあけて、茶をすすりながら

「清代のもので、1万ドルもしない。気に入りだ、というだけだ」

「陶製ですか」

「いや、木箱だよ。ご婦人がイヤリングを入れていたものだ」

 チョウ氏が成犬館に遊びに出ている留守中にやられた。

「その時に、犬は」

「いたよ。二匹とも。だが、うちの子は悪いことはしない」

 おいで、と声をかけると北欧系の大柄な犬が二匹、四つんばいで入ってきた。


3月30日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 サッカー選手のような美丈夫の犬たちは、あきらかに主人を畏れていた。主人がやわらかい声で命じる。

「アクトーレスにお手をしなさい」

 犬たちは素直にひょいと拳をつきだした。

「おかわり」

 さらに代わりの手を出す。

「納得しました」

 おれはふたりを下がらせた。ふたりの手指は接着剤で固められていた。

「使用人は」

「ふたりいる。いま、ヤヌスで取調べを受けている。でも、もう出てくるんじゃないかな。彼らがいなくてもまた盗難があったから」


3月31日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 クリスが聞いた。

「アブドル・ムンディル氏をご存知ですか?」

 チョウ氏は首をかしげた。

「いや」

 ロバート・キンゼイ氏、マリオ・モレーニ男爵の名に聞きないと言った。クリスは微笑んだ。

「では、最後に。あなたの若さの秘訣は?」

 チョウは少し面食らったようだった。

「漢方ですよ。わたしの国には不老長寿の研究が太古の昔からあるんです」

 チョウのドムスを出た時、クリスは鼻でわらった。

「なにが漢方」「

ちがうの?」

「女性ホルモンだよ。あの男はドムス・ロセのお客様さ。皆そうだ」


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